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※ファンフィクションです。
※タイム視点のお話です。
※第2部のエピローグ後の話です。
静けさ。
管理者の部屋はそれだけで満ちています。
その中で、私は目を閉じ視覚受容器をシステムの記憶アーカイブに向けます。
記憶の閲覧はたまにしかしませんが、カトリーヌとの会話で少しのひっかかりを感じました。
アーカイブを通して、ループシステムが起動された前の記憶をたどります。
そうです、最初のクレア=フランソワ――カトリーヌ曰く私のお母さまの記憶です。
◆◇◆◇◆
「ちょっと、タイム。もしかしてこれ――」
「はい、計算より早いですが……」
「そんな……!」
普段なら、大橋零は冷静な方、もしくは周りの出来事から距離を取っている方とも言えます。
そんな彼女が珍しく声を荒らげています。
彼女は必死に医療部への連絡を私に急がせました。
そう、これはすべて私の思惑通りの事です。
私にとって、人類の存続は最優先にする使命になります。
その頃の計算では、これが一番効率のいい選択肢でした。
でも、それから得た経験と知識で振り返ると、他に手段があったなら、と今は強く思います。
人工感情受容器が感じている痛みは、その後悔なのでしょう。
「そうですわね。あなたは天才ですわ。だから……一人でもきっと大丈夫」
再構築された記憶の中で弱っていたクレアは最後の言葉を言い残していました。
「イヤです……イヤだ……。私を一人にしないで、クレア。お願い……」
それに対し零は一瞬だけ泣きわめいて弱音を吐きましたが、すぐに体勢を正しました。
何かの可能性に閃いたのか、零はクレアの命を一日だけでも延ばして、と命令を下しました。
その後、零はループシステムの起動への準備に専念してきました。
そう、私が予想していた通りに。
もう一度、零の意思の最終確認をしてからーー
全人類の魂の量子化が始まりました。
◆◇◆◇◆
これらの記憶はレイとクレアとその仲間にループシステムや魔王の存在について説明する際に見せた記憶です。
でも、今からたどるのは私だけの記憶です。
「なるほど。それはタイムの仕業でしたのね」
全人類の魂がデータになって、ループシステムに転送されている最中でした。
私は人類の存続が任されたAIとしてそのプロセスを見守っていたのです。
もしもエラーが生じた場合も、その修正が出来るようにも備えていました。
量子化された魂は眠っている状態のはずでした。
ですが――。
「クレア=フランソワ? なぜ起きているのです?」
「どうしてかしらね、これもまた命の神秘ーー奇跡なのかもしれませんわ」
「奇跡? 論理的な思考を持つあなたからそんな言葉が聞けるとは思いませんでした」
「ふふ、タイムがそう言うのももっともですわ。ですが、死に際にそういう事にすがりたくなるのは人間の本性なのかもしれませんわ」
死に際。
彼女の言い草からも察しがつきましたが……やはり、私の企みは彼女にバレているみたいです。
それなのに、クレアがさっき出した笑い声からは敵意なんて感じ取れません。
彼女とこうして話す機会なんてもうないと思いました。
でも、もしもループシステムが起動されなくて、彼女が生き延びて私がしたことも知れば、と言うシミュレーションをしてみても、こうはなりませんでした。
「私を恨んでもかまいません。私は、人類の存続のために必要と思った事をしたまでです」
「恨むですって? なるほど、タイムにはまだ少し早かったみたいですわね。だとしたら、この機会はまさに奇跡でしたわ。だって、わたくしがわたくしじゃなくなる前に、タイムにこれを伝えることが出来ますもの」
クレアの言う通りでした。
彼女はもちろん魔法文明の新世界に生まれ変わるのですが、その生まれ変わりは目の前にいるクレア=フランソワとは違います。
魂は同じと言え、彼女が積み上げてきた経験や知識、彼女が人類のためにとった行動、私の作りも、そのもろもろも全て、今のクレアだけのものになります。
でも、私にはまだ少し早かった、とは何でしょうか。
回路がその言葉の意図を解析出来る前に、クレアは朗らかに微笑んでから私に近づいて来ました。
彼女はデータで作り上げた腕で私を抱きしめました。
私たちは今ただのデータでしかなくて、暖かいや冷たいと言う概念すらないはずなのに……。
私は確かな暖かさを彼女から感じました。
「タイム、わたくしはねーー」
そのまま、彼女の言葉は断ち切られてシグナルをなくしたラジオやテレビのようなノイズだけが続いていました。
それから間もなく、見慣れていたシステム警告が現れました。
【警告】
【記憶は以前スタックオーバーフローを発生させたため制限されました】
【アクセスしますか?】
【アクセス】・【終了】
そう、一週目のクレア=フランソワは正しかったです。
その時、私に伝えたいと思ったことは私にはまだ早かったです。
人類への理解は出来ていたつもりでしたが、その理解はまだまだ、だとその事でハッキリ分かりました。
人類の存続を優先するため、私はその時自分の感情もその記憶とともに鍵をかけました。
それからも人類にびっくりさせられて、経験と知識も得続けました。
カトリーヌのあの話を聞いてからーー今なら、クレア=フランソワがこの日に私を伝えようとした事を受け止められるかもしれません。
ーー受け止められるのでしょうか。
カトリーヌは確かにクレアの事を良く知っていますが、今のクレアと昔のクレアは同一人物ではありません。
それに、システム警告が知らせた通り、その記憶のせいで以前スタックオーバーフローが発生しました。
私の自己修復のサブプロセスはその記憶を制限する事しかできませんでした。
今回もその記憶を解析する事ができなかったら、どうしたらいいのでしょうか。
逆に、解析が出来て、その記憶を受け止めることで私に何らかの変化があったら、どうしたら良いのでしょうか。
その時でした、なぜか背中に優しい手を感じました。
不思議でした、カトリーヌがここにいるはずはありません、それでも確かに彼女のぬくもりを感じました。
「ふふ、こんな風に悩むのは、長年ループシステムを観察した結果、人間味が生じた証拠でしょうか」
カトリーヌが実際にここにいるかどうかはともあれ、彼女なら私の背中を押すのでしょう。
覚悟を決めて、私はシステム警告に応じました。
「アクセスします」
そうして、再びあの日の記憶の再生が始めました。
◆◇◆◇◆
「タイム、わたくしねーー」
記憶の再生が途絶えた瞬間にもどりました。
クレアに抱きしめられて、彼女の暖かさに私は包まれていきます。
彼女の優しさは、私を満たしてくれます。
「わたくしはあなたの事を誇りに思っていますわ」
「ーー!?」
クレアが何を言おうとしていたかは前からも考えていましたが、その言葉はやはり意外でした。
「あら、やはりタイムにはまだ早かったみたいですわね。今は無理だとしても、わたくしのこの言葉はいずれきっと届くのでしょう」
彼女からは母性にあふれている愛情しか感じませんでした。
カトリーヌが言っていた言葉は正しかったようです。
しかし、私のためだけではなく、彼女は全人類のために死んだのです。
零のとなりでループシステムの開発に貢献し続けた者として、彼女らはある意味ではこの先生まれてくる人類全ての母たる存在かもしれません。
「最後にタイムと話せたのは本当に奇跡でしたわ。他に後悔がないと言うわけではありませんが……」
クレアは私を離して、一瞬物憂いているような表情を見せましたが、すぐに続けました。
「まあ、今となってはこれからのわたくしに任せるしかありませんわね。わたくしにはいろんなしがらみが課せられましたが、それらがないわたくしならば、彼女と上手く行くのかもしれませんわ」
また間を開け、彼女は改めて周りを見渡していました。
クレアは私のような処理速度を持ち合わせていませんが、それでもこのシステムの開発者として、鋭い人なのです。
彼女なら、ここに流れているデータをある程度読み取れるかもしれません。
「ん-、そう簡単には行かないかもしれませんわね。わたくしは最後まで、わたくしの悩みで手一杯でしたが、零も明らかに曲者ですわ」
苦笑をしながら、彼女は私に目を向けなおす。
「それでは、そろそろ時間みたいですわ。タイム、零の事も、人類の事も、よろしくお願いしますわ」
彼女は最後にもう一度私を抱きしめてくれました。
また、データだけの私たちには無理のはずでしたが、熱い一線が彼女の頬を伝って私の肩に落ちるのを感じました。
ーーこの時でさえも、クレア=フランソワは強がるのですか。
それは、彼女の本性と言うのかもしれません。クレア=フランソワは、高潔で、意地っ張りで、それでいて優しくて、愛情深い人なのかもしれません。
人類の存続を目指すことで、私は彼女の遺志を継いだと思いましたが、今ならハッキリ分かります。
彼女が本当に願っていたのは人類の存続を見守る存在だけではなく、人類を先へ導く存在でした。
今の私にその使命はまだ程遠い、ですが、今のクレアとレイ、カトリーヌ、そして彼女らの仲間と一緒なら、未来への道を切り拓けるのではないかと思っています。
「それでは、ごきげんよう」
再び私を離すと、クレアは私のおでこにキスをしました。
それから彼女はまたデータに解けて他のデータと混ざり合ってシステムの中へと流れていきました。
記憶の中の私は単に転送作業に集中していましたが、この記憶を振り返ってみている私はこう言いたかったのですーー
「ごきげんよう、お母様。私もあなたの娘であったことを誇りに思っています」
◆◇◆◇◆
記憶の再生が終わって、私は現実にもどりました。
ハードウェアの制約のせいで、要らないと判断した記憶を削除した事もありました。
でも、この記憶は明らかに私にとって特別な記憶です。
特別な記憶でありながらも、後悔と悲しみに満ちている記憶でもあります。
やはり、他の手段を探したほうが良かったのかもしれません。
「そう言えば、レイが延々とクレアに要求したのは何でしたっけ? ばぶみでしたか? 私が思っていたほど変な事ではなかったかもしれませんね。カトリーヌに聞いてみたら、彼女がー」
気を紛らわすためにそんな事を言ってみましたが、長くは続きませんでした。
今日、私が見届けたその記憶は私を形づくる記憶であり、これからは私の土台の一部になるのでしょう。
そう、その記憶はもう私にはー
(タイムレス・メモリー)
不朽の記憶
コメント
「タイムレス・メモリー」読んでくださってありがとうございました。
前に書いた「二人だけの朝」からはだいぶ時間が経ちましたね。
自分なりには、日本語と向き合っているつもりでいますが、前進しているかは自分ではよく分かりません。
ですから、その判断は読者のみなさんにゆだねさせていただきます。
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